DDNESとは?



DDNES

以下の3人を(現在の)主要メンバーとするユニット。
 ・ 早瀬輝 (はやせひかる、hikapee)
 ・ 物書屋助手乃不臨徒三本触手 (ものかきやじょしゅのふりんとさんぼんしょくしゅ、通称『師匠』)
 ・ gami-chang (がみちゃん、通称『がみ』『がみん』)
最近の主な活動はモスやデニーズで、生きていく上では特に必要の無い事項に対し議論を重ねるに とどまっているが、
かつては様々な活動を行っていた。
何を行っていたかを今更 長々と書くのはメンドクサイので省略。

3人共多忙を極め、サイト作成が困難である事から、単一のサイトにコンテンツを持ち寄って共同運営するという発想に到った。
しかしいざ始めてみると、公開可能な一定のカタチに達している(または一般に公開可能な内容である)のは早瀬のコンテンツのみであり、
事実上早瀬の個人サイトという扱いになっている。それに伴い、2006年5月に早瀬個人が使用するサーバに移転。

DDNESはユニット名であり、このサイトの内容と同ユニット本来の活動内容は異なるが、サイト名として冠している。

DDNESの読み方は「ディーネス」。
DDNESは(特に理由の無い限り)全角で表記するというルールがある。



DDN (Dokodemo Door Network)

早瀬を(便宜上の)中心とする各種ユニットの総称。
活動内容またはメンバー構成により細分化されDDNES、DDNMT、UnitCorn等を名乗る。
その人数はサポートメンバー(笑)も含めると30人を超える。

その起源は、Gami-changの姉である高橋美里を中心とした、
「早瀬に何かしらの創作活動(もしくはそれに順ずる事)をさせる」事を補助する(半強要する)目的で自然発生した集まりであった。
この集まりは早瀬の活動に他のメンバーの能力が組み込まれていったり、あるいは その逆、といった相互的な関係へと次第にカタチを変ていく。
「趣旨そのものが早瀬中心」という状態から脱却した事でオープンなサークルとなり、
活動に賛同する者が流入または細分化ユニットにおいて行動を共にした。

しかし多くのメンバーが結婚・出産を機に(交流は絶たれないが)DDNとしての活動が困難となった事で、
“最後の晩餐”と名付けられた宴において(極めてイベント的に)活動休止が宣言された。
「解散」や「終了」でないのはメンバーの総意だが、誰もが「再開」は現実的に果たせない事を理解していた
(これは宣言時の早瀬の発言「歯切れが悪くて大人げ無いケド、捨ててしまうのと仕舞うのは似ている様で結構違うみたい」より、
後半部分の「定義論に持ち込む」を前半部分で「言い訳」「逃げ」と認めている事からも読み取れる)。


DDNの語源

小室哲哉がメンバーであるユニットTM NetworkのTMがTime Machineの略(ただしTMの本当の語源は多摩地区のTaMa)である事から、
“タイムマシン”を“どこでもドア”に置き換えDokodemo Door Networkとした。
(タイムマシンに対して どこでもドアという対応はドラえもんに敬意を表している)
ただしDDNと表記する場合はDigital Divide を意味しているという話に摩り替わっている場合もある。

当時としては異質のメンバーであった師匠の正式加入を機に表記がDDNに変わったのも、
TM NetworkがTMNになった際ツアーメンバーとして(当時のTM Network感からすれば異質な)葛城哲哉を迎え入れた事に由来している。

小室関係からのネーミングとなったのは、
早瀬の「わがままで虚弱体質で偏食家」なトロコや突拍子も無い行動の数々が、しばしば小室哲哉に例えられていたからである
(小室には、例えば「ミスタードーナツのドーナツが食べたい」と夜中の2時に言い出し、
「土下座したら開けてくれるかもしれない」という冗談を真に受け店舗前で土下座し、
慌てて木根尚登が連れ帰った」という噂がある。ただし真偽の程は不明で、ファンの間で好意的にパロディ化されたモノと思われる)。
blogeもglobeが語源。